床屋という名の縮図

  • 2021年1月24日
  • 2021年2月12日
  • その他

以心伝心は言い過ぎかもしれないが、日本人は自分の基準と他人の基準が同じである、という事を常に求める人種である。自分自身そう思うし、特に海外で暮らすとそれをつくづく感じる。

バングラデシュのことを好きになれない人は、この部分があまりにもかけ離れていることに違和感を覚えるから、ということが一つの理由であると思う。

現地の床屋事情

例えば、バングラデシュで床屋に行ったときの話をしたい。家の近くの床屋はカットとシャンプーで800円程度、価格は「え!」と思われるかもしれないが高級店だ。駐在員には200円くらいの床屋に行っているという人もいて、衝撃を受けたこともある。ちゃんとスキバサミは用意されているが、通常のハサミは日本の100均で売っているようなやつだ。まぁそこは許そう。なんたって800円だ。日本の美容師が使っているようなうん万するハサミは使わなくていい。どちらかというと購入した後、それを研ぐ技術が心配だ。

カットは適当に。オシャレを気にしない僕レベルであれば、大きな不満はない出来に仕上がる。ホット一息して洗髪台に向かう。通常より大きめの洗面台に仰向けで寝そべることのできる台がついている。着席から仰向けは自動化されてはいないが、重い体を一所懸命に支えてくれるスタッフには好感だ。人の手の洗髪は気持ちいいもので、中には簡単なマッサージをしてくれるスタッフもいる。

高級ヘアサロンなのに、、、

さて、問題はここからだ。僕は仰向けに寝ている。スタッフも顔に水がかからないように、丁寧に洗ってくれている。にもかかわらず、なぜ彼らはその手で顔を湿らせてくるのか。髪を洗ったその手を僕の顔面に置くのか。別に洗剤で洗った後の手だから、汚い、というものでもないが、なんとも言えない生温かさ。ドヨンとしたそんな気持ちになる。文句の一つも言ってやろうと思ったが、拭き終わった後の満面の笑み、ドヤ顔を見たらその気も失せた。

ものすごくスッキリしない散髪を体験したあと、帰り際にふと思った。きっとバングラデシュ人にとって、散髪と洗顔は同時なのだと。逆に散髪だけされると彼等からしたら、気持ち悪いことなのではないかと。実はこの床屋以外にも、ダッカで最も高級な◯流ホテルWでも同様のことをされた。こちらは2,000円にもかかわらずだ。

この掛け違いが難しさ

これは一つの大きな齟齬だ。ダッカでそのレベルだが、地方の日系企業さんにはたまにトイレの使い方が分からない従業員が入社してくるという。川で用を足す、ということで生きてきた彼らには、まずトイレの入り方から教える必要があるそうだ。ここで大事なことは、バングラデシュはその齟齬に対して、全く悪気がないことだ。まさに基準が違うのだ。ときにはいいことだと思っていることもある。長い間、バングラデシュで日系企業さんのお話を伺ってきたが、日系企業さんたちの苦しみの縮図はまさにその床屋にあるように思えてならない。

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